mmmiooo’s diary

家族のこと、治療のこと等について書きます

パートナーが教えてくれたこと

私が職場の嫌なことを

愚痴っていたら、

パートナーにこんなことを言われた。

 

「もし俺が同じ悩みを話したら

なんて声をかけるかって

考えてみたらどう?

 

何か楽になる方法が見つかるかも。」

 

私はやってみることにした。

 

「自分だけ話しかけてもらえない。

それは辛いよね。

嫌だよね。寂しいよね。

分かる。

でも相手は変えられないから、

余計難しいよね。

相手は変えられないから

自分の考えを変えていくのがいいかも。

いつか気にならなくなる時が来るかも。」

 

解決策は言えなかったけど、

すこーーーし楽になった気がする。

 

色んなときにやってみようと思う。

お姉ちゃん

私にはお姉ちゃんが一人いた

お姉ちゃんについて書いてみる

 

お姉ちゃんは所謂優等生だった

真面目で、先生の言う事をよく聞き、

とにかく勉強もできる子ども

後輩の憧れだったし、

先生のお気に入りの生徒だった

 

卒業式の挨拶も姉が読んだし、

卒業式の伴奏も姉が弾いた

 

小中では常にトップの成績をとり、

高校は県で一番のところに進学、

そして有名大学を卒業し、

国家公務員のいい職に就いた

 

見た目は母親譲りの美人だった

キリッとしたクール系の美人

鉛筆のような体の私にくらべたら

ナイスバディだった

 

本当に絵に描いたイイコだった

 

家での役割はというと、

良くできたママの妹役だった

ママといつも一緒、

ママの味方をし、ママに合わせる

しかし自分がないわけではない

自立もしつつ、ママにあわせ、

家の中で上手く立ち回る

 

なぜ立ち回れるか?

それはスケープゴートがいたからだと思う

 

お姉ちゃんは私を

心の底から見下していた

バカと口には出さないが、

バカにしてるのが態度に出ていた

 

数学の問題が解けない私に

「どうしてこんな簡単なものが分からないの?」と嘲笑したこともあった

 

私はお姉ちゃんについて

何も考えたくない

言い負かされるから、

何も言いたくない

お姉ちゃんの賢さが怖い

 

お姉ちゃんを例えるなら

裁判官だ

お姉ちゃんは正しさを追求する

それが辛い

正しいなら何を言ってもいいと思っている

それが怖い

 

しかしママの前では弁護士になる

ママの味方、強い味方

 

私がこの世で一番関わりたくない人間

ママの経歴

ママはあまり自分のことを語らなかった

だから殆ど知らない

知ってることを書こうと思う

 

ママは小中高と普通に学校に通ったそう

自分が嫌いだったと言っていた

 

遠方の大学を希望したものの、

おばあちゃんとおじいちゃんの反対で

地元の国立大学に行くことになった

ママは親の意向をくみとって教育学部に行った

 

教師になるつもりなんかまったくないけど

教師になった

自分は最低の教師、

才能ない、向いてない、

自分なんかが担当になった子どもたちがかわいそうだと言っていた

 

続ける気なんかなくて、

かと言ってやめもせず、

結婚したらやめようと思っていたらしい

 

実際ママは結婚して仕事をやめ、

専業主婦になった

パートに出ることもなかった

 

しかし20数年主婦をやったあと、

転換点が訪れた

それはパパと離婚だった

 

パパと離婚してからは

実家に帰り、アルバイトを始めた

教員免許を持っているけれど、

教師をやるつもりはなかったそう

 

そして今に至る

パパの家とママの家

パパの家とママの家は

結婚当初から仲が悪かった

 

パパの家は商店、

ママの家は農家

 

本当はそんな上下はないのに、

パパの家族はママの家を馬鹿にし、

見下していた

 

誰も娶らないお前を

俺がもらってやってるんだ、と

食卓で言っていたと思う

 

パパの家族は

パパのママ、パパのパパ、パパのお姉ちゃん

みんなママの家を馬鹿にしていた

 

私やお姉ちゃんが何か気に入らないことをしたら

ママを攻撃、

さらに「こんなママを育てたママの家が悪いんだ」ということにして、

ママの親をも責め始めた

 

正月やお盆に

ママの家に行くことは禁止、

いつもパパの家優先

 

ママにはママの家のことを

パパの前で喋ってはいけないと言われた

当時なんでかは教えてもらえなかった

だけど今は分かる

話題にしたらパパの機嫌が悪くなるからだ

 

パパとママには地雷がある

その話題を口にしてしまったら

途端に機嫌が悪くなって怒りだす地雷

だから私はその地雷を踏まないように、

怒らせないようにと

いつもビクビク、顔色をうかがって

生きてきた

ママのお兄さん

小学校低学年の時、

今日は学校お休みよとママに言われた

 

学校がお休みなのに

制服を着せられて

おばあちゃん、ママのママの家に向かった

 

幼すぎて何も分からなかったけど、

それはお葬式だった

本当に何も覚えていない

ただママの言う通りにしていた

 

大人になって分かった

それは

ママのお兄ちゃん、

私から言えばおじさんの葬式だった

 

さらに大人になって分かった、

ママのお兄ちゃんは自殺したんだってこと

 

おじさんの印象はほとんどない

なぜならパパの家とママの家は

とても仲が悪くて、

ママの家と関わってはいけないことに

なっていたから

 

次はその話をする

ママについて

普段通りの呼び方で

母親について書いてみようと思う

自分の気持ちを整理するためだ

 

 

ママの実家は農家だ

一人上にお兄さんがいたけど、

本当はもう一人お姉さんがいた

お姉さんは死産で生まれてこなかった

 

ママは女兄弟がほしかったと

しきりに言っていた

だからママは私のお姉ちゃんを妹に見立てて

お出かけしたり、ご飯を食べたりしていた

 

ママとお姉ちゃんは愚痴など心の中のことは何でも打ち明けて、

まるで本当の姉妹のようだった

 

娘の私が言うのもなんだけど、

ママは美人で可愛かった

そして若く見えた

 

授業参観でママの存在がひときわ目立っていた

ママのことを友達に褒められたことがある

 

ママは何でもやってくれた

ママは完璧だった

ママは専業主婦だったから、

家に帰るといつもいた

 

共働きの子からは羨ましがられた

いつもお家にお母さんがいていいねぇって

そう言われた

 

ママという呼び方について、

これは姉もそうだし、私も、パパもそう

みんなママと呼んでいた

みんなにとってのママだった

そう、父にとっても妻ではなくママだった

 

ママという呼び方をすることについて、

おばあちゃん、パパのママが

ママに注意した

ママと呼ぶのははしたない、

ママと呼ばせる教育が間違ってる、と

 

ママと呼ぶことを恥ずかしいと思ってる

だけど、ママと呼んでいたから

今も私にとってはママだ

 

ママはママをこなした

だけど、そこには愛情がなかったと思う

 

親はつい言っちゃう生き物………?

心療内科の先生と

親の話を少しした

 

親に言われて辛かった話をすると、

先生は最初こう言った

 

「親は大変だから

『ついつい言っちゃう』んですよね、

やなこと………」

 

私は先生にお世話になってるし、

先生が悪いわけじゃないことは分かってる

 

でも、思った

 

「大人が『つい言っちゃう』一言や態度で

子どもたちが何年、何十年と

苦しんでいるんだよ?」

 

なぜ子どもが悪さをしたら

不良だの何だのと責められるのに、

親の悪い教育は

「親は大変だからしょうがない」で済んじゃうんだろう?

 

大変だったら何しても良いのか?なんて

思っちゃう

 

こどものころにポキンと折れた心は

なかなか修正できない

親はどう責任を取るの?

 

親の立場になれば分かると言うけれど、

子どもの頃という貴重な時期に

自信や自己肯定感を失わされて、

その先幸せを感じにくい大人にさせられて、

それのほうが余程かわいそうだよ。。。

 

ここでたくさん酷い親に育てられた人たちのブログを読んだ

本当に酷い

キレ散らかして覚えてないとか、

自分さえ良ければいいという態度とか、

本当に親失格の態度

 

親も人間と言うけど、

それならどうして反省したり、

誰かに頼ったりして、

顧みないんだろう

 

親自身が不幸になるのはご自由に、

でも子どもを巻き込むなと言いたい

 

こんなことをこの頃考える